本物の孤高の人
プロ野球選手は、メディアと仲良く上手くやっている者と、メディア嫌いの両方に分かれる。メディア嫌いの方は、過去に嘘を書かれたり、過剰な取材をされたりという理由があることが多いが、それも含め噛みしめて上手くやってこそプロだと思う。
取材にきた記者を集めて趣味であるAV鑑賞会を開いたという松井秀喜(こういう言いにくいことを公言する大らかさと、それを知って喜ぶというファンサービスには頭が下がる)とか、常にファンやメディアを意識して、色々なことを言ったりやったりして球界そのものの人気にも貢献している新庄剛志は、メディアと仲良く上手くつきあってる代表だろう。
一方でメディア嫌いと言えばその代表はイチローということになるが、全くメディアへの露出をしない訳でもなく、都合のいい時だけ使うという「メディア嫌い風」を装っている感があり、私は好きではない。
純粋なメディア嫌いで、野球だけを突き詰めた「榎本喜八」こそが、本物の孤高の人であり、そこまで行けばそれは「芸術」であり「プロの芸」といえる。私はこの目でその打撃を見たことはないが、記録を見ているだけで興奮する。
歴史に残る打者
晩年の奇行や引退後の人目を避けた生活などから、もうその名前を聞くことも無く、忘れ去れた存在になりかけているが、日本のプロ野球で唯一の通算3000安打(3085本)達成者で、最多タイ記録となる首位打者を7回獲得している打撃の王様、張本勲もこう言っている。
「すごい打者だった。」「私はね、過去の名打者として左で5~6人、右で5~6人をリストアップしておるんですよ。左は大下弘さん、川上哲治さん、榎本さん、王貞治、イチロー、私ですね。」と球界に歴史を残す打者たちと並び称している。
まずは記録の方から紹介したい。
1955年に毎日オリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)へ入団、高卒1年目からレギュラーとなり、139試合に出場し、打率.298・67打点・84得点・146安打・24二塁打・7三塁打・87四球・出塁率.414など、高卒新人の歴代最高記録を数多く達成し新人王に輝く。
1960年には打率.344で首位打者を獲得し、チームの優勝に貢献した。1961年9月にはなんと24歳9か月で通算1000安打を達成、プロ野球史上最年少記録を樹立した。
1968年には31歳7か月にして2000本安打を達成し、こちらもプロ野球史上最年少記録を塗り替えた。首位打者を2回、通算安打数は2314本、通算打率.298という強打者である。
なお、張本やイチローのような広角打法ではなく、グリップエンド一杯を持ってフルスイングを多用するプルヒッターで、アウトコースの球もすべて巻き込んで豪快に引っ張ったという。それでいて、この成績である。
逸話など
・ 引退後は球界との接触を一切断っていた。名球会は当初は会員であったが、1度も参加せず、脱退扱いとされた。
・ 一方、コーチ就任の備え、引退後10年間は自宅と東京スタジアムの間、往復42キロを1日おきにランニングしていた。
・ 後に王を育てた荒川博コーチのもと、合気道や居合を習得し、打撃に取り入れていた。
・ トレーニングのことを「稽古」、バッティングフォームのことを「形」と言い、試合前に座禅を組むこともあった。
・ 荒川コーチの家の庭で榎本が昼間から素振りをしていた。深夜に思い出して庭を見てみると、榎本はまだ素振りをしていた。
・ 打撃に何か活かせないかと映画を見たり、猫の動きを勉強してみたり、蛇口から出る水を2時間ほど見つめていたこともある。
・ 実家はあばら家で非常に貧乏だった。初めて肉を口にしたのは中学生の時だった。しかもその肉は赤蛙だったという。
数々の奇行
・ 打撃に不満があると、自宅でバットを振ってコーラ瓶や窓ガラスを壊していた。
・ 契約更改で訪れた球団事務所で、椅子に座って瞑想に耽り、7時間動かなかっ
・ メジャーとの日米対抗戦で、練習の最中、ベンチで座禅。オールスターでも同じことをやった。
・ 試合前の客席に入り込んで、奇声をあげる。
・ 自宅の応接間に猟銃を持って立てこもり、天井に向けて発砲。
ここまでくると、孤高の人というより奇人だが、ここまで徹底的であれば、ファンもマスコミも納得するのではないか。どっちにしてもコミュニケーションも言葉での表現もうまくなかったようで、打撃・成績で語るしかなかったようだ。
こんな選手は、もう二度と出てこないだろう。

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