どっちに座るか
熱い。日本も、もはや温帯じゃなく亜熱帯気候になってるんじゃと思うくらい、熱い。通勤電車で「弱冷房車」が来るとシンプルにガッカリしてしまう。弱冷房は地球には優しい分、人には厳しい。でも仕方ないか…
せめてもと、日の当たらない側を選んで座ろうということで、最近は電車に乗る際、どっちサイドに座るかを吟味している。昨日の仕事帰りも悩んだ末、進行方向に向かって左側の端の席に座った。ただ、その時に少し悩んだ。ちなみに行きは時間が早く、帰りは始発駅のため、私は往復座って通勤できている。
(えっと、日の当たらないのは…どっちだっけ?おおよそ電車は北東に向かうから、右は南からの日差しを受けそうだけど…それに両サイドともカーテン閉まってる。これが片方だけ閉まってたら、そっちが日の当たる方だと分かるんだけど…ええい!とりあえず左や!)
ひとまず座る側はひと段落だが、次は隣に誰が座るか。これも心地よい電車ライフにとって大きな問題である。正直、大きめの方が隣にくるとキツキツになるので、近づいてきたのが大きめだと「あっちいけ」小さめだと「こっちこい」と祈っている。
すると、子連れのお母さんがこっちに向かってきた。(お母さんも細めだし、男の子もランドセル背負っているから小学生。どっちでもいいぞ。)と思っていると、男の子が私の隣、お母さんは空いている向かいの席に座った。向かいと言っても長いすの向かい側だから、親子の距離はちと遠い。
叱らない親
これで日が当たらなけりゃ(どっちサイドもカーテンをしているが、電車のカーテンは遮光では無く薄いので、日の当たる方はほんのり熱い。)完璧だと思っていたら、まずは隣の男の子が落ち着きのない子のようで、何だか小さくぴょんぴょん跳ねている。(う~ん、何だかなぁ。でも、まあ可愛いもんやん。)と思っていたのも束の間。
ランドセルを肩から外して下に置いたのはまあいいとして、小さな子供がやるように、外を見るため窓の方を向き、膝をつけて座りだした。まあ、それも許そう。しかし、その後、そいつはカーテンを開けやがったのだ。昭和の昔なら(こら、勝手に開けるな、このクソガキ!)とか言って頭を叩いても責められないような案件だ。
そして、向かいのお母さんは…見てるだけ。ああ、これアカンやつや。注意でもしようなら「開けちゃいけない法律でもあるんですか?カーテンを開ける、閉める、誰にでもその権利はあるんじゃないんですか。あなたはこの子の権利を奪うんですか!」とか言われそうだ…
周りの人たちもその空気を察してか、誰も何も言わないし動こうとしない。日本の良いところでもあり、悪いところでもある。しかも、電車の向きが変わったのか、周りに高い建物が無くなったからなのか、カンカンと日が差してきた。もう、本も読めない。それに熱い。俺の電車タイムは完璧どころか何もかもダメだった。
さらにここからもっと驚きの展開が。その子供は景色を見るのに飽きたのか電車の方に向き直し、お母さんを見つめる。やはりお母さんは何も言わない。(「〇〇ちゃん、ダメじゃない。すいません、閉めさせてもらいますね。」だろう、普通。)
叱らないのではなく諦め?
すると、男の子は意味不明な言葉を発しながら、さかんに手を動かし、それに応えたかのようにお母さんも手を動かし始めた。(手話か?それで男の子も喃語のような声を出してるのか!)さらに、その手は自分の体を叩いたり、回したりとなった上、不意に立ち上がったりという動きにまで発展した。
聴覚障害と発達障害の両方なのか、発達障害のための聴覚情報処理障害(聞こえないのではなく、聞こえるが処理できない。)なのか。
周りも(おそらく)そうしているように、途中からその親子とは目を合わさないようにしていたので、お母さんの表情ははっきり分からないが、想像するに、最初に私が思っていた攻撃的な表情ではなく、疲れて諦観したような表情だったのではないだろうか。
結局のところ、男の子の特質やお母さんの思いははっきり分からないが、何となくの雰囲気は「乙武を代表とするモンスター障がい者(この件においては、その親)」ではなく、「疲れきって対応する気力を失った母親」という感じがした。
なので(私の子は言っても聞かないんだから、しょうがないでしょ。)ではなく、(皆様、申し訳ない。でも、もう私には注意する気力がないのです。)なんだろうと、怒りではなく憐憫の気持ちになってしまった。ただ、そこで憐れんでいる自分も嫌になる。
最終的には(日が当たって本も読めないし、うるさいし、手もぶつかってるし…でも我慢するしかないか。)と思って寝たふりをしていた。どうしたらいいのか、どう考えたらいいのか、モヤモヤしたままの帰宅だった。


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