故事成語
実際に生きている間に目の前で使われたり使ったりすることは無さそうだが、文章、特に見出しなどでは見かけることがある「まず隗(かい)より始めよ」ということわざ。正確にはことわざではなく、故事成語なのだが、まずはことわざと故事成語の違いについて。
どちらも昔から伝えられてきた教訓なのだが、そのなかでも中国の故事(昔あった出来事)による教訓を含んだ一節を故事成語という。「四面楚歌」や「背水の陣」などはいかにも中国の故事という感じがするが、「百聞は一見に如かず」や「良薬は口に苦し」なんかは、ことわざっぽいが、故事成語らしい。
「四面楚歌」
キングダムで有名になった始皇帝の「秦」の崩壊後、天下を争った楚の項羽と漢の劉邦。当初は優位だった項羽だが、最後は追い詰められ漢軍に包囲される。その際、漢軍は敗れた楚軍の兵を自軍の兵とし、楚の唄を歌わせた。それを聞いた項羽は深く嘆き敗戦を覚悟する。この故事をもって、周りが全て敵ばかりという危機的状況のことを四面楚歌というようになった。
「背水の陣」
先の「四面楚歌」の場面の少し前、漢の劉邦軍の将軍である韓信が、項羽側である趙を攻めた際、本来、兵法では川を背に陣を組むことはダメとされているところ、韓信はまだ将兵を掌握できていないことから、敢えて死地に置き必死で戦わざるを得ない状況におき、勝利を収めた故事から、決死の覚悟で挑むことを「背水の陣」というようになった。
どちらも紀元前200年程前の事跡というから、もう2200年以上前の出来事である。普通に考えて凄いと思う。
「百聞は一見に如かず」
特別な言葉という感じもしないし、故事に由来しているとは思わなかったが、実は漢(前漢)の9代皇帝である宣帝にまつわる故事。漢が異民族の羌を攻めるにあたり、属国である趙充国に羌を破る為の戦力がどれほど必要かを聞いたところ、「百聞は一見に如かず、見に行きますわ。」と言って趙充国が実際見に行ったという。
「良薬は口に苦し」
これも、いかにもことわざっぽい。これは孔子の説話に出てくる話で、孔子がはるか昔の話を持ち出し、「良薬は口に苦いが病に効く。殷の湯王と周の武王は王に忠告する臣下がいたので栄えたが、夏の桀王と殷の紂王は王に従う臣下のみだったので滅んでしまった。」と言ったという故事による。なんだか、孔子が言った「ことわざ」っぽいけどね。
誤用ではないが
それはさておき、「まず隗(かい)より始めよ」であるが、これは本来の故事とは少しズレた使い方をされており、誤用ではないが少しモヤモヤする故事成語である。まずはその故事を紹介しよう。
時は中国の戦国時代。燕の昭王は優秀な人材を集めるにはどうしたらいいかを、政治家である郭隗(かくかい)に訊ねた。郭隗いわく、「優秀な人材を求めるのであれば、まず私(郭隗)から始めよ。さして優秀でない私を登用すれば、あの程度でも登用してもらえるならと、沢山の人材が訪ねて来るでしょう。」
なので、本来であれば「優秀な人材を集めたいならば、まず身近な者から登用すべきだ。」という意味であったのが、今や「何か事を成そうと思うのであれば、まずは手近なことから行うのが良い」「物事は言い出した者から始めるべきだ」という意味で使われるようになった。
なお、四字熟語では「先従隗始」(せんじゅうかいし)というらしい。知らなかった。
取り違えられている言葉
「まず隗(かい)より始めよ」は、誤用ではなく転用といった感じで本来と違う意味で使われる言葉であるが、間違えて使用されたり、意味を取り違えられている言葉というのはいくつかあって、例えば荷物などによく書かれている「天地無用」などは、字面からは上下を気にしなくてよいと読めそうだが、これは全く逆で「上下逆さまにひっくり返してはいけない。」の意味である。
しかし、誤用の方が有力となった言葉については、最早、誤用ではなくそちらが正しいといっていいだろう。言葉とは生きているものだから。例えば「爆笑」は、大笑いでは無く、本来は沢山の人が一斉に笑う様子を言うが、これはもう大笑いの意味でいい。
「姑息」も本来は「その場しのぎ」という意味だが、「卑怯」という意味の方が通りやすい。しかし、この本来の意味と現在で通じる意味が半々の場合、使う側としては悩ましいところである。
きよきよしい
文化庁の調べによると、「情けは人の為ならず」については、本来の意味である「人に情けを掛けておくと巡り巡って結局は自分のためになる」と答えた人が45.8%で、「人に情けを掛けて助けてやることは、結局はその人のためにならない」が45.7%という。
同じく、「気の置けない」は、本来の「相手に気配りや遠慮をしなくてよいこと」が42.4%で、「相手に気配りや遠慮をしなくてはならないこと」が48.2%とか。とくにこちらは全く逆の意味になるから注意が必要である。
言葉というのは本当に難しい。今までの話とは全く関係ないが、サッカーの本田圭佑選手が「清々(すがすが)しい」を「きよきよしい」と間違ったことを指摘され、「お恥ずかしい。漢字が苦手で。でも、もうしっかり覚えました。」と投稿したのは本当に清々しいと思った。こうありたいものだ。

