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くわばら、くわばら

雑記

知ってるつもり

小説を読んでいると、知らない単語や字が50年以上生きた私でもまだまだ出てくる。学が無いのと記憶力が悪く、ましてや加齢とともにその力が減退しているのが原因だろうが、ときに「知らない」というより「知ってるけどうろ覚え」とか「知ってるつもり」というたちの悪いものにもよく出会う。

昔なら辞典を繰って調べるか、知ってる人に聞いたりして覚えていくものだったが、今やググればすぐに分かる。ただ、ググるのは便利すぎて脳に根付かないような気がする。「前も調べたよな…」というやつだ。ただ、また調べりゃ済む話なので、自分で記憶する必要もないのかもしれないが。

昨日読んだ本でも、何だか知ってるような知ってないような言葉が出てきた。それは「くわばら、くわばら。」というやつで、これは「天災や怖い人から怒られるなどの災難から逃れるための呪文のようなものであることは分かるのだが、何で「くわばら」なのか、よく分からない。

くわばらとは「桑原」さんという人の名前で、絶大な無敵の力を持つその桑原さん(海原雄山みたいな)の名を唱えて災難から逃れる呪文にしてる?いや、桑原とは桑の畑のことで桑の葉には魔除けの力がある(知らんけど)から、それを唱えている?まさか、DeNAの桑原と何か関係が…

それこそググればすぐに分かるのだが、まずは自分で考えてみようと思ったのが以上のとおりである。ただ、書いていて思い出しだのだが、何か「カミナリ」に関係があったような気がするが…では、ググってみよう。

タケミカヅチ

おお!やはりカミナリと関係があったのは間違いなかった。ただ、「くわばら」の由来とされるものはいくつかあるようで、はっきりしないようだが、いくつか有力とされている話がある。

まずは、学問の神様、菅原道真公が登場する話。これが一番それっぽい。なお、私の敬愛する「大川慶次郎」は競馬の神様と言われていた。なお、最強の1勝馬とも言われた「タケミカヅチ」(皐月賞2着)、この名の「タケミカヅチ」とは剣と雷の神様のことである。

菅原道真公は、藤原時平に妬まれ太宰府に左遷され無念のうちにこの世を去る。その恨みから怨霊となって祟り、疫病、洪水や雷によって都に災害をもたらす。しかし、道真公の所領であった「桑原」には雷は落ちなかったという。

そこで人々は雷が鳴ると「ここは桑原であるぞ」ということを告げて雷が落ちないようにするため「くわばら、くわばら」と唱え、いつしかそれが雷だけでなく、災難全てから逃れる呪文となったということらしい。

学問の神様にしては、恨みから災害を引き起こすというなんて、人倫にもとる酷いやり方だと思う。それも関係ない人まで巻き込んで。【自分の打った印をもとに馬券を買うファンに対する作法として、みずからも予想の通り馬券を買うのを常とした】という、競馬の神様「大川慶次郎」こそ、神様だろう。

そのほかの由来

次はありがちなお寺にある言い伝え。一つは兵庫県三田市桑原にある欣勝寺(きんしょうじ)と大阪府和泉市の旧桑原村の西福寺。同じような話が伝わっているというが、その話にも少し違いがある。

ひとつは「住職が座禅をしていると雷が落ちてきた。住職は袈裟を投げて雷を止めた。そして現れた雷神に二度と雷を落とさないよう誓約させた」という話。凄い住職だ。こいつがいればどうとでもなりそうだ。

もうひとつは、「雷神(又はその子供)が井戸に落ちてきたので、井戸に住職(又は老婆)が石の蓋をして封印をした。封を解く代わりに、二度とこの地に雷を落とさないことを約した上で、雷神(又はその子供)を解き放った」という。

最後は昔話の類で、今度は農家の井戸に落ちて封印されたカミナリ様。やはり雷を落とさないという条件で封印を解いてもらう。カミナリ様は自分が嫌いな「鍬(くわ)」を払うという意味の「くわばら、くわばら」と唱えれば、そこにはカミナリを落とさないと言ったという。

これはどうも後付けというか言葉遊びに近いような気がするが、おばあちゃん何かが孫に言ってそうだ。「カミナリ様はクワが嫌いなんだよ。だから、鍬を払う、くわばら、くわばらと言うと感謝してカミナリを止めてくれるのじゃ。」(最後だけエンヤ婆?)

と調べてみたが、これを私がどれだけ記憶できるか。おそらく1か月後に「くわばら、くわばら」って何かカミナリとエンヤ婆に関係あったよな…と言ってそうだ。

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