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元々、それ程いい音を望んでいなかったが、今やもう聴こえてない

雑記

もう聞こえない

高校生の娘と、あるショッピングモールに入った時のこと。入るや否や娘が「気持ち悪いから出たい。」と言う。え?熱くも寒くもないし変な匂いがする訳でもない。マッチョが半裸でポージングしている訳でもない。「何で?」と聞くと「なんかモスキート音がして気持ち悪い。」という。いや何も聞こえませんけど…

中耳炎にでもなっているのか、それともストレスか…学校で何かあったのが身体症状として出ているのか。娘も精神的に不安定なお年頃だが、こっちも不安になる。と思ってしまいがちなところだが、この時私はすぐに分かった。それは少し前に見たテレビで、こんなのをやっていたからだ。

「あなたの耳は何歳?この音が聞こえますか?」というやつ。今やスマホのアプリなどでもよくある、それこそモスキート音がどんどん周波数を変えて鳴っていくのを、いつまで聞こえるか、それで耳年齢を図ろうというやつである。その番組を家族みんなで見ていたのだ。

「ではスタートします!聞こえなくなったら手を上げてください!」「キィィィィィ…」ものの5秒ほどで聞こえなくなって手を上げた。え?マジで鳴ってるの?と周りを見ると、嫁さんの手は既に上がっているが、娘たちはスンと澄まして私たちには聞こえない何かを聞いている。

聞こえれば良い庶民派

こちらはとっくに無音なのだが、娘たちは10秒経っても20秒経っても手を上げない。ようやく手が上がったと同時に「終了~」とテレビから声が。娘たちは最後まで聞こえていたようだ。本当に鳴っているの?信じられない。犬笛ってこんなんなのだろうか。

思ったより耳年齢は悪く、実年齢+10歳ほどだった。特に自分では認識していなかったが、聴力はかなり弱っているようだ。娘がごにゃごにゃ言って「聞こえない。もっと大きな声で言って。」なんて言っていたが、これは小さい声で喋っていたのではなく、自分に聞こえていないだけだったのかも。反省。

さて、私は音楽を聴くのが好きで、といってもクラシックなんて高尚なものではなく、洋楽ロックを中心とした雑食なのだが、昔から音にはこだわりが無かった。いいアンプ、いいスピーカー、いいヘッドホンなどには全く興味がなく、聞こえれば良いという庶民派だった。

感受性の衰え

それは今でもそうなのだが、そんな私でも流石に100均で買ったイヤホンはダメだった。そして、ダイソーで売ってる1,000円のワイヤレスは大丈夫だった。この中間の価格帯の製品があまり無いので詳細は分からないが、私は1,000円出せば満足できる身体のようだ。

なので、10,000円もするようなイヤホンを買っている人を見ると、「無駄じゃね?」と思うこともチラホラだったが、結局これくらいの歳になって分かったのが、「拘りどうこうより、そもそも聞こえているかどうか、それは人それぞれ。」という事で、無駄かどうかは見ただけじゃ分からないということ。

70歳を超えるような爺さまでも、耳年齢が20歳なら是非ともいいイヤホンで聞くべきだし、私なんかは耳年齢を考えると本当は100円も高いくらいかもしれない。そう、昔は「音にはこだわらない」というのを逆に「音楽そのものを愛しているから」と言い換えてお洒落と勝手に思っていたが、そもそも「もう聴こえてさえいない」のだ。

もちろん、耳だけでなく目も悪くなっている。おそらく五感の全てが衰えている。それよりも怖いのが感受性の衰えだ。ただ、まだ映画や小説で泣いたり笑ったりはできている。しかし、本当に心の底から泣いているのか、ここで泣くべきだからという経験からきているのか。それも分からなくなってきたこの頃である。

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